チルドレン (講談社文庫)
いいなあ、陣内君。高校時代の友達に、かなり近い人がいるが。
彼の若いとき、大人になったときと、行動原理に変化が見られないにもかかわらず、社会人として成長しているような、変わったけど変わらないところに、うらやましさや魅力を感じる読者はいるんじゃないか。
短編なので、いつか他のエピソードが読めることを期待。
いいなあ、陣内君。高校時代の友達に、かなり近い人がいるが。
彼の若いとき、大人になったときと、行動原理に変化が見られないにもかかわらず、社会人として成長しているような、変わったけど変わらないところに、うらやましさや魅力を感じる読者はいるんじゃないか。
短編なので、いつか他のエピソードが読めることを期待。
読み終えたのずいぶん前なので、細かい内容は覚えていないが、確かに厭だ。
当事者目線と、観察者目線の両方から事件というか、出来事を描く箇所があって、観察者目線からは、確かに異常だがたいしたことではないように描いてあって、当事者からはたまらなく厭な出来事になっているところが、妙にリアル。
短編集。タネも仕掛けも、オチもはっきりとしない不思議な文章だが、これもまた京極風。世の中、便利になって、わからないもの、あやしいもの、こわいものなど、次第になくなっていくかに見える。我々の世代が子供の頃は、まだそういうものが少しは残っていた。祖母の家のアノ壁のアノ部分がなぜか怖いとか、仲のよい友人は常に抹香くさいにおいを漂わせていたとか、そういったどうでもよいこと。ややもすると、そういう昔の記憶は思い出すこともないが、子供たちの世代に、果たしてこういうものがリアルタイムに存在しているのかどうか、とてもあやしい。
押井守監督でアニメ映画化された原作。「ポニョに負けたら…」という発言もあったと聞くが、原作を読む限り、勝角は難しいような?
世界設定なんかは面白くて、それをあえて説明せずに最後まで引っ張れる力は確かにある。だが、エンディングがあんな感じだと、なんだか浅いなあ、というのが正直な感想。だが、小説としては楽しんだほうだといえる。
ほかに同じ著者でよく似たタイトルがあるが、続編なんだろうか?
フラッタ・リンツ・ライフ―Flutter into Life
DVDや文庫版もあり。
大学生アリスシリーズの最新刊、といっても初版は2年以上前の発行。気づかなかった。もう出ないと思っていたから。というのも、その前は「双頭の悪魔」で、これは1999年の発行。ともかく、5巻完結の予定らしいので、あと1巻、がんばってほしい。
バブル崩壊、就職、カルト宗教といった題材が、2007年になって出るとは。これは出版に関する事情なのか、著者の遅筆によるものなのかは知らない。タイミングが完全にずれてしまっているのは確かだが、でも今だからこそこのテーマで小説が出せるのかもしれない。確かに時代のズレは否めないが、本格推理としてはよいものだと思う。
「双頭の悪魔」のことが、ところどころに出てくるのだけど、あまりに昔に読んだので、もう覚えていない。正月にアリスシリーズを再読できるとよいが。本筋とは直接関係しないのでよいか。
遅筆だの、時代がズレてるだの、否定的なように聞こえるかもしれないが、ちゃんと長編かけるのだから、これからも楽しみにしてるのでがんばってほしいと思う。
3分の1ほどで断念。しかもトライするのは2回目。
他の三崎亜記は雰囲気がよくてよかったのだが、これはまったく別人。舞台設定にしろ、文体にしろ、何から何までちがう。ご注意。近代ロシアの地主の息子が主人公。
むりに読了するのはあきらめることにした。
中編集。タイトルの「モロッコ水晶」での火村の推理は、純然たる推理を確かめるために、その仮説が正しいことを物証に基づかない方法で確かめている。現実に、このような捜査方法で逮捕できるのか、自分が犯人だったら全部嘘っぱちだと言い切ってしまい操舵し、それも不可能ではないと思うのだが、そういう、ある意味現実離れしたところがフィクションの価値。私は好きだが、意見は割れそう。
他三編も楽しめた。
三崎亜記の短編集。「彼女の痕跡展」、「突起型選択装置」、「遠距離・恋愛」、「同じ夜空を見上げて」などは、「となり町戦争」、「バスジャック」、「失われた町」とは感じが似ている。それ以外は又微妙に違った雰囲気。あっという間に読める。疲れたときにお勧め。
火村助教授シリーズ。もう助教授って言うポストはない?
今回は離島もの。トリックやプロットは、派手さはないが悪くない。けど、犯行の動機と推理が独立している点でテクニカル。本格が嫌いな人は嫌いだろう。動機は小説としては大事な要素で、この点がもう一押し欲しかった。
これくらい楽しく気軽に、出来ることからはじめるといい。人に教えて、みんなでやれば間に合うのか、間に合わないのか。
「偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する (幻冬舎新書 (た-5-1))」とか言って、まったくKYな本が出てるけど。結構売れているのは、多くの人がアホを見物するためだと思いたい。読みたくないが、客観性に欠けただめな本らしい。消えてくれるとうれしい。
中島らも氏の小説。中島らもって、小説家だったとは知らなかった。明るい悩み相談室の珍解答しか知らなかったもので。
新興宗教、超能力、マジック(1巻)、呪術、ドラッグ、アフリカ(2巻)、引き続き呪術、超能力、陰陽道(?)、とどたばたマスコミ騒動(3巻)のような構成。怪しいもの盛りだくさんな中で、エンターテイメントしきっている。個人的には2巻がよい。3巻のどたばたで終わるのは少し消化不良だが、これだけ怪しいものを登場させてしまうと、後始末はどたばたにするしかないかも。
彼岸の風景、ニライカナイ、レクイエムあたりは、なんか世界があって、浸りながら軽く読めた。コヨーテは月に落ちる、帰還兵の休日あたりは、すこし着いていけないところがある。長編もまずは一冊、チャレンジしたい。
文庫のあとがきで上げられていた短編:
谷崎潤一郎「少将滋幹の母」
泉鏡花「高野聖」
円地文子「なまみこ物語」
宇能鴻一郎「鯨神」
短編集。
「二人の記憶」。男女の会話のずれ。別にずれてたって、どうってことはない。相手を信じていられるなら、なにも問題にならない。でも、同じものを見ていながら、違う感情を持っていることに気づいたとき、どっちに転がっていくかは別れ道。どちらに転がるかは、たいした違いではないのだけど、結果は正反対だったりする。運よく、出会ったころの、体験を共有できていたときのことを思い出せたなら、もうしばらく一緒にいられるのかもしれない。
「動物園」。たまに動物園に行くが、動物を見ているようで、実は見ていない。認知の盲点をするどく突いている。なかにお話のような展示があっても、気づかないかもしれない。
「送りの夏」。お葬式は祖父のときに一度だけ。世間の標準から言えば、大往生。とはいえ、介護に疲れ、どこか安堵のようなものもありながら、送るときには涙する母やその姉妹、それほど親しかったわけでもないのに、納棺の際に、やはり涙する妹や従姉妹。祖父との関係が希薄だった自分は、その関係を見つめなおす時間もなく、あっという間に葬儀は終わり、祖父は骨になって墓の中。初七日がどうとか、目の前をあっというまに葬式は駆け抜けていった。そして、「葬儀は生きているものたちのためにある」と、変に納得して、日常に戻る親族たち。まあ、確かにそういう見方もあるし、実際、葬式は生きているもののためにあるのだろう。葬式あげても生き返るはずがない。いまでは10年くらい昔の話。でも、そうだったのだろうか。単に、葬儀屋のビジネスに流されただけじゃなかったのか。もっと近しい人が死んだなら、あるいは、大往生じゃなくて、もっと唐突に誰かの上に降りかかった死だったならば、これで終わってしまうわけにはいかないかもしれない。そうやって終わってしまったら、一生後悔するかもしれない。長くなったが、この短編では、正反対の、長い別れ方で、死者を送り、生きている自分が次の一歩を踏み出す。小説の中でしか許されないことかもしれないが、でも、変にわかったような顔をして生き続けるよりも、死んだ気になって、納得するまで別れを惜しむような生き方もあるだろう。いずれにしても、このあと訪れるかもしれない死を、悔いなく受け止めていけたら、と思う。
どの短編も、奇妙な設定と、そぐわないキャラクターの思いやりとが、おかしなバランスで交じり合って、穏やかな読後感へ導く。
巷説シリーズの又市らが、裏の世界に入るまでのエピソード集。又市が才能を開花させていく過程でもあり、仕掛けは確かに荒っぽいが、巷説、続巷説、後巷説では読者までも煙に巻く手腕の裏側には、青臭い信念があった。小股潜りだの、猫回しだの、人をだます裏社会の住人である割りに憎まれないキャラクター達なのは、前巷説で語られるまでもなく、この青臭さがにじみ出ているからだろう。前巷説を読んでから、他の三作を再読すると、また面白そうである。
となり町と戦争が始まる。となり町には勤務先がある。地域新聞で開戦を知りながらも、表面的には何も変わらない。しかし、確実に戦死者は出ているらしい。となり町との戦争は、地域行政が執り行うほかの事業と目的は同じで、地域振興などを目的にした事業だというが…。召集令状が届き、出頭してみれば、その担当課の女性職員と偽装結婚までして、となり町に居を移し、スパイ活動をはじめる。戦闘活動ではないながら、戦争行為に加わりつつ、その実感がない。
文章は飽きが来やすいが、ストーリーは面白い。トンデモ小説っぽいが、意外に深い。考えてみれば、何かの事業に携わっていると、知らないところで人が不利益をこうむったり、場合によっては人死にが出たりということはあるかもしれないし、逆に、戦争が国家事業としての一面があるというのもわかるところだろう。そういう高みからの視点も描かれている上に、人物ひとりひとりの、戦争に賭ける、あるいは流される思いみたいなものもあり。自分で選び取りたいと思った瞬間に、するりとそれは逃げていったり。やがて終戦を予定通りに(!)迎えるが、ひとりひとりにとっては、まだ戦いは終わっていなかったりする。
Amazon.co.jpの書評はよくないようだが、はじめから娯楽だと思って読むと、この小説が持つ、得体の知れない面白さを見つけられるかも。結局なんだったの?設定に無理がある、と疑問に思いながらも、意外とと共感するところがあったり、まあ小説だからいいかとあきらめたり、なにやら不思議な読後感に襲われる作品であった。
バチスタというのは心臓の手術のひとつなのだが、一度心停止させた後に、病気の部分を切除し、再び心臓を再鼓動させるという直接的な手術。当然のように成功率は高くはない、難しい手術。世の中にあまり知られることのない手術室という閉ざされた空間、大学病院というある意味浮世離れした社会という密室を舞台にしたミステリ。
昨今、医療現場を舞台にしたマンガやドラマが流行っているが、医療チームという呼び方への、患者と医者との温度差みたいなものが嫌いで、あまり関わりたくないと思っていたのだが、この小説は、小説としてはかなり面白い。ミステリ小説では最も中心となる犯行の手口はもちろん、探偵、助手のキャラクタもきちんと立っていて、飽きることなく一気に読ませる。私がもっとも気に入ったのは高階教授。象牙の塔の切れ者、大学病院の辣腕政治家という陰険キャラだが、ラストにみせる人間らしさ、懐の深さがいい。
著者がお医者ということで、一発屋なのでは?とも思ったが、シリーズ続編もあるようだし、それ以外の作品にも期待。
ずいぶん褒めたが、自分でも犯人探しをやってみたくなるという人にはあまり評価されないかも。読者には知りえない情報がずいぶんある。また、なぜ探偵が犯人を特定できたかは、読み終えてみてもいまいちわからない。
妖怪が出てくる推理小説。だが、
・個々の妖怪は記号としてしか出てこない。つまり、ストーリーの中でなぜその妖怪でなければならないのか、必然性がない。
・妖怪は結局妖怪のまま。現生の怪異の原因が本当に妖怪のせいでした、ではひねりがまったくない。
そういうわけで、中身が稚拙すぎ。まあそこそこ、といえるのは、若旦那をはじめとする登場人物がきちんと個性を持っていることくらい。
UMAが見つかったというCNNの報道を発端に、トルコのワン湖まで実際に行って調査するというドキュメンタリー(というのか?)。このジャナワールと呼ばれるUMAは本物か?偽者か?
著者の興味は、UMAそのものより、その真贋や、見たという人々にあるようで、UMAなんているわけない、と思っている人も、トルコ旅行記といった観点で、インタビューした人たちのキャラクターや、取るこの土地柄などを楽しめるのではないかと思う。写真が結構あるのもよい。
最後には、著者らも目撃してしまい、湖にもぐって調べたりする。その目撃したモノの写真が載っているので、本当に見たのかもしれないが、もし写真がなかったら、この本自体、フェイク(偽物)であり、真贋を見極めようとするこの本のスタイル自体をパロディーにしているのか?と思ってしまう。むしろそっちだったほうが、どこまで信じてよいか、煙にまかれてしまって、それはそれで面白かったのではと思った。
はじめは文体が、若干アウトロー気取りなところが気に障ったが、最後まで飽きさせない。同行するカメラマンの森氏は辺境が好きだそうで、UMAはともかく、僻地に行ってみたい人だというのが面白かった。最近、近所でカメラを趣味にしている人を見かけるのだが、カメラのハード自体には興味があっても、子供の運動会以外に撮りたいものがない私にとっては、無縁の趣味だと思っていた。でも、カメラの活躍の場として、辺境というのはアリだなあと思った。カメラを抱えて辺境を訪れるような余暇は私にはないが…。それだけにうらやましい。
各話には、元々の耳袋の文章も付いている。一話目だけは読んだが、古文は苦手で。表現のテクニックは、すごく進化を遂げているのだと思った。原文はなんだか、あったこと、聞いたことをそのまま書いたような文章。確かにこれだと、微妙な怖さや不思議さは見落としかねない(と、前書きにもある)。
真景累ケ淵の映画化もこの夏ある。こっちも気になる。
事件の全容が明かされると、「ああなるほどね」と思ったのだが、
1)今回の事件たちは、事件同士の間の関わり方がポイントなのだが、必ずしも対称ではない。右手で左手を描いたら、実はこの右手はその左手が書いたものだった、というような対象性を持つのは難しかったのだろうか?それだと結構簡単にネタがばれてしまうのかな。
2)前作「塗仏の宴」からずいぶん時間が開いた。誰が誰だったか、過去の事件がどんなものだかあらかた、忘れてしまっていた。それでも「邪魅…」だけ読むのに問題はないが、京極ワールドの楽しみはかなり減った
どっちも読者の身勝手な都合です。小説は面白いですよ。
やっぱり一気読みしないとだめだなあ。
下巻では、1)存続に成功した社会の例および成功の要因、2)近代においては企業の行動による環境保全とそれを引き起こすための消費者行動、そして3(いまやグローバル化によりひとつの国や地域の存続が世界に与える影響が大きく、世界存続のために正しい意思決定により解決する必要がある、という内容。
感想は、過去の文明崩壊に関する深い調査や洞察と、将来に向けた意思決定の深刻さは、個別にはよくわかる。そのどちらも否定するものではないが、過去に学び、現在に生かす、という論旨は説得力が弱い。誤解のないようくりかえすと、弱いのは論理であって、主張には賛成である。その2つを結びつける必然性がどこにあるのか不明だし、無理にそうすることによって正論が論駁される危険があるのではないか。反対派に付け入る隙をみすみす与えているのではないか、と危惧する。2つを結びつけるところに飛躍が感じられる。傍証もここに関しては弱い。
銃・病原菌・鉄と、文明崩壊と、ジャレド・ダイアモンド氏の著作を読んだが、着眼、洞察、主張は面白いし有益だと思う。だが、文章の構成、本としての面白さ、理屈を裏付ける証拠やデータの出し方が駄目。また、文明崩壊(下)は一番駄目で、それは前述したように一部(といってももっとも大事なところなのだが)論旨に飛躍があるところ。ここの部分は贔屓目に見ても無理がある。このような特徴は、いわゆる専門○鹿?エディターはいなかったのだろうか?もっと有能なやつにするべきだったと思う。
否定的なことを書いたが、敬遠せずに、多くの人に読んでもらいたい本だと思う。批判するほどに厳しい目を、環境について向けてほしいと思って、あえて厳しい評論となった、のかもしれない。
銃・病原菌・鉄〈上,下〉では、文明がおきるほうの話だったのに対し、こちらは滅ぶほうに焦点を当てた著作。銃・病原菌・鉄と同様、比較分析により、文明の存続と滅亡を沸けた要因を5つ挙げている。
上巻では、これら5つの要因のうち、ひとつの要因によってのみ滅んだイースター島の文明に始まり、5つの要因すべてが影響して滅んだグリーンランド人たちを含む、文明の勃興から滅亡までを描き出す。イースター島は今ではぺんぺん草も生えないような状態らしいのだが、もともとそうだったのではなく、住人たちの環境破壊が原因。環境破壊がこうまで徹底するものかと驚愕した。また、グリーンランド人たちは、滅亡と比べればとるに足らない理由のために滅んだ。後知恵ではそういえるのだが、当事者たちにはそれ以外の選択はありえなかったのであり、いかに人々は硬直化した習慣から逃れられないものかと思い知らされる。
7~15世紀までくらいに滅んだ文明のことを扱っており、考古学が持つイメージから比べれば比較的新しい。が紛れもなくこれも考古学なのだろう。この年代くらいだと、遺物からかなり生々しく人々の生活を推し量ることができるようである。
ちなみに、銃・病原菌・鉄でも思ったことだが、本の構成がよくない。地図が引用箇所の近くに配置されていない(下巻を見ると、上巻の○○ページの図を参照、という間を跨った引用まであるのはひどい)。文章でだらだら説明するのもわかりにくく、表や年表などを用いれば、簡潔に説明できるはずである。内容は面白いのに、この点で読者を飽きさせていると思う。
私世代では知らない人はいないだろう(うそか?)、シャアの名台詞と、それが発せられた背景などを詳述した本。上巻がガンダム、下巻がΖガンダムというくくりであっているかな?朝日新聞書評欄で見て、本屋で見かけて斜め読み。解説がすごーく細かい。これを書くためには、何回ビデオを見返したのだろうか。
が、私には目次を見るだけで十分楽しかった。それ以上深く読みたいとは思わなかった、というのが正直な感想。
アルビジョワ派、カタリ派の名は聞いたことがあるだろう。今話題の世界史を履修すると、中世ヨーロッパのキリスト教文化関連では、一大イベントだから習うはず。キリストを唯一絶対の神とするという意味で異宗派でありながら、十字軍による討伐の対象になった。舞台は異端がはびこるオクシタニア。
異端に投身する妻と、復讐のために正教の僧侶となる夫を中心にした歴史小説。ラストは驚き。
無駄知識:オック語、オイル語と「ラングドック」の関係。「オック」と発音する言語を使う地域だから「ラングドック」なのね。
そして下巻。こちらはぜんぜん面白くない。
上巻は地理的、環境的な視点なので、書かれていることはなんとなくにしろ想像がつく。たとえば、世界地図や地球儀を見たことがあれば、大陸の形状はわかるわけだし、そこに育つ家畜、農作物、鉱物等についても、中学・高校の地理、歴史を学んでいれば、思い出しながら読み進めていくことができた。
しかしながら、下巻は言語的、考古学的な論証から、文明の伝播について述べ、わずかな条件の差が、支配する側とされる側を決定的に分けうる可能性について述べているようだ。「ようだ」というのは、わからなくて、面白くなくて、読むのをやめたから。
わずかな条件の差しかない民族たちが散在し、闘争が行われた地球の縮図として、ミクロネシアからマダガスカルまでの、南の小さな島々をとりあげているのだが、この地域の言語的な多様性というのは、英語学習がライフワークになるようなこの国にいたのでは想像できないほどらしい。だが、存在も知らない言語のことを事細かに説明されても退屈なだけ。もちろん読み手の知識不足にも問題はあるのだが、この本は一般向けだよねぇ?
考古学的な論証についても意義があって、「そんなの可能性の問題以上になっていないじゃない?」というのが感想。そうかもしれないけど、そうでないかもしれない。そうであるというなら、証拠がちょっと弱い。こちらは読み手の問題じゃないと思う。それしきのデータでは読者を納得させるのは難しいでしょ、というレベル。
上巻がいくらよくても、下巻がこれでは、ピューリッツァー賞あげてもいいのだろうか。ジャーナリズムの賞だから、学術的価値に問題があってもいいのかな。ちょっと納得できないが。
もうちょっと専門用語を減らして、具体的な事実を脇においても読みこなせるようにしてほしいと思った。
いつか文庫にならないか、と待っていたのだが、一向に文庫にならなくて、そのうち「文明崩壊」の日本語訳が発刊されてしまった。そこであきらめて、購入を考えたのだが、運よくブックオフで見つけて購入。下巻はなかったけど、まずは上巻から。
期待通りの面白さで、地理的、環境的な要因だけで、文明の発展に大差が生じ、征服する側とされる側が分かれることなった要因について、説を明快に述べている。この分野は素人なので、この説にどれほどのインパクトがあるのかはわからない分、論旨に矛盾や証拠にあいまいさがないため説得力は高まる(もちろん、現時点で利用できる技術やデータに限界はあるので、将来覆されないとも限らないが)。
謎めいた中世のものと言われている、解読困難なドキュメントと妖しい挿絵が描かれたヴォイニッチ写本。何のために作成され、何が書かれているのか、多くのアマチュア解読家たちの10人10色の仮説。なぜこれだけの人をひきつけ、時に狂わせるのか。
写本のルーツの検証、ドキュメントの解読、所有者の系譜、挿絵と宗教の関係など、何でも飛び出す。が、著者たちの仮説は?これまでどんな研究がなされてきたかの羅列に過ぎず、新説を疲労するわけでもない。明かせないが、だらだら述べた結論がこれなら、むしろこの本は存在しないほうがいい。と意地悪のひとつも言いたくなるほどつまらない。また読みにくい。
かろうじて、ドキュメントの解読における暗号技術の初歩の解説や、進歩の歴史は面白かった。
交通事故で負った脳へのダメージにより、80分しか記憶が維持できないという元数学者である博士。気難しく奇行に満ちて見えるのは、実は学者らしく思慮深く、同時に礼儀正しく、思いやりが深いがゆえに、他人を困惑させまいという配慮が生んだもの。それとわかるのは、家政婦の小学生の息子に対する、幼きものへの愛情が抑えきれずに噴出した瞬間であろう。3人の間の、互いへの思いやりが読後にさわやかさを感じさせる。
なぞに満ちた数学の魅力にただ乗りしたり、奇抜な設定だけで乗り切ろうとしたりはしていなくて、小説として感動的なものである。ただ、また整数論か、とか、また気難しそうな数学者か、という少しありきたりな面がある。
「へんないきもの」の続編。あの大爆笑をもう一度、と期待して、年末に平積みで見つけて購入。
生き物ねたのお笑いトークは健在だが、2年目のジンクスというか、笑いどころは1作目に比べると少なかったかも。でも、生き物の命名についてのコラムは特に大爆笑。年末の脱力系図書としては狙いはばっちり。
2作目ということで、1作目にはない何かメッセージ的なことを本の最後のほうに書いてある。そういう環境破壊に対する警鐘とかも、こういった娯楽本の中に少しだけ書いてあることで、「少しだけならやってみようか」という配分もいい。笑える生き物がたくさん生きている環境のほうが、保護したいと思うよね。
5,6年ぶりの再読。京極堂シリーズの番外編。シリーズの登場人物がなぜ犯行に至ったか、という短編集。というものの、一編は下手な作家の長編ほどのボリュームがあり、ちょっと思い出しにくいような(もっとも京極堂を読んだのは結構昔だけども)、地味なキャラクターを扱って、これだけ読ませるものを書くのはさすが、京極夏彦。
#京極堂シリーズ再読を計画中。
お城の見学が好きで、特に城址ではなく天守閣に登るのが好きです。日本のあちこちの天守閣に上がったことがあります。そういう天守閣には、まず例外なく大名が使った品々などが展示されていて、当然刀や武具もそのうちです。日本建築は木造のものなので、天守閣自体は戦火で焼けるなどしており、後世に建て直したものになっています。したがって、天守閣が好きだといっても、興味の一部は刀剣類などに向いていることになります。
とはいえ、刀の名前や作成者などを読んでも、聞いたことあるとか、面白い名前だとか、そういう感想しかもてないことを、長年物足りなく思っていました。そういう人にうってつけの一冊かもしれません。著者が冒頭で書いているように、たとえば私のような、刀剣は素人なんだけど、なんとなく関心があるという層は、刀剣自体の価値には当然疎いので、それを誰が所有したか、所有者はどんな人だったとか、人手に渡ったときはどうだったとか、そういったエピソードに対する興味というのも少なからずあるわけです。専門書には、刀剣自体の特徴や評価などが書かれているでしょうから、こういったことは専門書ではわからないわけです。この本はまさにそういう読者の興味をターゲットに、日本を代表する刀を取り上げ、それらにまつわる逸話や所有者が生きた時代のことが書かれている本です。
入門の入門なので、どれも国宝級の刀の話です。常設展示されていないものも多そうなのですが、また天守閣に行くことがあったらこの本も持って行きたい。巻末には、太刀、刀、脇差、短刀の分類や、刀の部分の名称などの説明があり、これだけでも刀を見学するときに楽しみ方が広がります。太刀、刀、脇差、短刀に、きちんと分類があり、しかも現在の法律上の区分とも一致するというのははじめて知りました。著者の個人的な刀の好みが一文だけ述べられているところも愛嬌があってよいし、人殺しの道具であり、試し切りという現在の価値観では残酷な現実を背負っているものだということを正面から受け止めるべきだという意見は、専門家の姿勢として好ましいし、本当の愛好家魂を見ました。

トリビア満載の1冊
へんなの!?
「へん」は面白い。日常生活においては、つい人間はすでに地球のことは何でもわかったような気でいるが、それは間違いである。この本に登場するいきものの中には、分類がよくわからないやつらや、それどころか種なのかどうかさえはっきりしないものまでいる。
この本の魅力は、いきものたちの奇態を紹介する面白おかしい文章と、邪魔にならない挿絵である。特に文章は私の笑いのつぼのど真ん中を正確に射抜いている。この本を読んでいた1時間ばかりの間、本当に至福の時間だった。半年分は笑った。
カエサルを撃て、佐藤賢一
人類史上最も偉大な英雄の一人であるユリウス・カエサルを描く切り口としては非常に斬新な作品ではないだろうか。皇帝の代名詞であり、神格化された英雄の苦悶というより、中年男の優柔不断が、ガリア王ヴェルチンジェトリクスの若さ、暴力のまえになすすべもない。
しかし、若さを稚拙と侮り、自らに対する言い訳に終始するただの中年とは、カエサルはやっぱり一味違った。ぶざまな中年男と知りながら、新しいローマのために再び情熱を取り戻す様はまさに中年の星。豪傑を描かせたら日本一の佐藤賢一だが、今作のヒーローは豪腕ヴェルチンの影になりつつも、実はカエサルだろう。
百器徒然袋 風講談社ノベルス
京極 夏彦 (著)
京極夏彦のいくつかあるシリーズのうちのひとつ、薔薇十字探偵社の榎木津礼次郎とその下僕たちの短編。とはいえ、もしかすると短めの長編に匹敵する長さ。薔薇十字シリーズは京極堂シリーズのわき道のような位置づけで登場人物もオーバーラップしている。語り手である本島は、ストーリーの中でも影の薄い凡人という設定なのだが、本当にそのとおりで、こいつがほかのストーリーでどんな役割を果たしてきたのか、まったく記憶にない。今作も飽きさせず一気に読ませるストーリー展開と登場人物の魅力は健在。
京極堂シリーズは少し前に映画化されると発表があった。配役が気になるところだが、榎木津役をこなせるのは、今なら阿部寛をおいてほかには考えられない。はまり役になるか未知数だが期待。京極堂こと中善寺役は、イメージ的には実は作者の京極夏彦がぴったりのような気もする。芝居っけもありそうだが、堤もいい味出してくれることだろう。
「いい家」が欲しい。、松井 修三、創英社。
家の価値とはなにか。価値観が明らかになったとき、どこに視点を置いて、どんな家を選択するのか。「住む」という基本に立ち返って、今世紀の「いい家」さがしについて主張する本である。ハウスメーカーの都合に踊らされては、必然的にいい家は手に入らないとわかっていても、対策もなければどのように探せばよいかもはっきりしない。そんな中で読んだ本なので、今後の家探しにおける方向性に大いに影響を与えた一冊だった。また、大手を含むハウスメーカーの欺瞞に満ちたビジネス、業界の歪んだ構造、法規の矛盾を暴く。本書が薦める外断熱・ソーラーサーキットの家を選択するか否かはさておき、一読の価値はある。
その一方で、主張の前提を裏付けるデータがほとんど提供されていないため、客観的に主張の妥当性を評価することができないのは、内容は読者にメリットがあるものだけに惜しい。また、従来の工法や他の新工法を、なかなかに舌鋒鋭く批判(場合によっては非難)している。これらを批判は、まさに外断熱工法が受けている批判と同じく根拠に欠け、水掛け論に見えてしまう。本当に主張が正しいなら、必要以上に攻撃的にならず、冷静にデータに基づいて比較すれば十分だったはず。良く言えば職人気質だが、悪く言えば唯我独尊的な著者の論調には、冷静な読者ならネガティブな印象をおぼえるだろう。この点でも損をしている。
この本は自費出版らしい。自費出版に踏み切ったのは、ハウスメーカーらの圧力を受けて、出版社が主張を捻じ曲げるような編集を強いるかもしれないことを危惧したためとある。そこまでして世の中に主張を伝えたいという姿勢は、賞賛に値するかもしれない。しかし、その危惧を回避することはできたが、客観性を欠いた結果になってしまった。もしまともな編集者がついていれば、客観性の不足はすぐに指摘しただろう。
著者の主張は、少なくとも一部には理解され、特に家を買う側の啓蒙の目的は達成できた。支持者が集まってきたところで、出版の専門家、法律の専門家も味方についたことだろうと思う。ユーザのことを思ってくれるなら、彼らの力も使って、もう一押しして、データを集め、冷静に反対派を論破してほしい。本当の専門家ならば、悪習や悪法に唾するのではなく、他の人たちと協力しながら業界や法律も変えていくような活動に育て、安心して家が買えるようになることを、ひとりのユーザとして望んでいる。